ここまで、ジャック・ニクラスの発言を起点に、現代ゴルフが抱える問題を考えてきました。
ニクラスは、現在のPGAツアーの日程について、重要な大会が短期間に集中しすぎていると懸念を示しました。
大きな大会が連続すれば、トップ選手はすべての試合へ万全な状態で出場することができません。
その結果、一部の大会へ選手と注目が集中し、それ以外の大会は存在感を失っていきます。
また、ボールのロールバックについても、トッププロで十数ヤード程度の飛距離低下では問題を解決できないとして、
「タイタニック号からデッキチェアを投げ捨てるようなもの」
と表現しました。
これらを別々の発言として読めば、一方は日程問題、もう一方は飛距離問題です。
しかし、ここまで考えてきたことを重ねると、二つの発言は同じ問題へつながっているように見えます。
それは、現代のゴルフ界が、
何をゴルフの価値として残そうとしているのか
という問題です。
高額賞金大会へトップ選手を集中させる。
大観衆を収容できるスタジアムコースを使う。
飛距離が映える広いコースを用意する。
300ヤードを超えるドライバーショットや、パー5の2オンを見せ場として売る。
こうした興行は、非常に分かりやすいものです。
しかし、その一方で、各大会が持っていた固有の価値が薄れていきます。
狭いコース。
短いコース。
風の強いコース。
木によって射線が限定されるコース。
地面の硬さや傾斜を使わなければ、ボールを止められないコース。
それぞれ異なる能力を選手へ要求するからこそ、ツアーには多様性がありました。
ところが、大会の価値を賞金額と出場選手の顔ぶれだけで決めるようになれば、開催コースが選手へ何を問うのかは、二次的なものになります。
その結果、高額大会に選ばれなかった大会だけでなく、そこで行われてきたゴルフそのものまで評価されなくなります。
ニクラスがコグニザント・クラシックを例に挙げた意味も、ここにあるのではないでしょうか。
単に、自分に縁のある大会へトップ選手を集めてほしいという話ではありません。
PGAナショナルというコースが選手へ与える課題。
地域大会として積み重ねてきた歴史。
ほかの大会とは違うゴルフを見せる価値。
それらが、賞金額による序列の中で埋もれてしまうことへの懸念だったのかもしれません。
ニクラスは飛距離を否定しているのか
ニクラス自身は、全盛期に圧倒的な飛距離を持つ選手でした。
したがって、彼が飛距離の価値を否定しているとは考えられません。
しかし、ニクラスの強さは、単に遠くへ飛ばしたことではありませんでした。
どこへ打つのか。
どの高さで打つのか。
どの方向へ曲げるのか。
どこへ着弾させるのか。
どのミスを避けるのか。
ピン位置から逆算して、ボールをコントロールする能力があったからこそ、帝王と呼ばれる成績を残したのです。
飛距離は、彼の技術の一部でした。
しかし、飛距離が他の技術を必要としなくするほど、無条件の利益ではありませんでした。
飛距離のある選手であっても、その飛距離をどこで使うのかを問われました。
飛ばしすぎれば、悪い位置へ入る。
方向を間違えれば、グリーンへの射線を失う。
残り距離が短くても、悪い角度からはピンの周辺へボールを止められない。
そのようなコースの中で、飛距離をコントロールできたことが、ニクラスの強さだったはずです。
ベン・ホーガンも同じです。
ホーガンは、サム・スニードほど飛ぶ選手ではありませんでした。
それでも、飛距離を追うのではなく、ドローからフェードへ持ち球を変え、曲がり幅と停止地点を管理することで大きな成功を収めました。
ホーガンやニクラスが証明したのは、パワーが不要だということではありません。
パワーは、コントロールの中に置かれて初めてゴルフの技術になる
ということです。
守ろうとしているのは、昔のゴルフではない
ニクラスの発言を、昔のゴルフを懐かしむ老人の言葉として片づけることは簡単です。
しかし、彼が守ろうとしているのは、昔の飛距離や古い用具ではないでしょう。
飛ばないボールへ戻せばよい。
木製のクラブへ戻せばよい。
選手のフィジカルトレーニングを制限すればよい。
そのような話ではありません。
技術が進歩することは当然です。
選手が強くなり、クラブやボールの性能が高まることも、スポーツの発展の一部です。
しかし、競技側がその進歩に対して、ただコースを長くするだけでは、飛距離のある選手をさらに有利にします。
ボールを十数ヤード飛ばなくするだけでも、全員が同じだけ後ろへ下がるだけで、飛距離の相対的な優位は残ります。
必要なのは、昔へ戻ることではありません。
現代の技術を前提にしながら、飛距離、方向性、距離管理、球筋、判断力を、もう一度コースが評価できるようにすることです。
飛ばした方が有利なホールがあってもよい。
距離を抑えた方が有利なホールがあってもよい。
空中から高い球で止める方法があってもよい。
地面を使って転がし、止める方法があってもよい。
一つの正解だけではなく、異なる能力を持つ選手に、異なる攻略法が残されていることが重要です。
商業が競技を支えるのか、競技を変えるのか
メーカー、メディア、PGAツアーにとって、飛距離は売りやすい価値です。
数字で表せる。
映像で伝わる。
新しいクラブやボールの購入理由になる。
観客も、一目で凄さを理解できます。
しかし、売りやすいからという理由で、飛距離だけをゴルフの中心に置けば、競技の方が商品に合わせて変えられていきます。
本来は、優れたゴルフをどのように見せるかを考えるべきでした。
ところが、
売りやすいゴルフとは何か。
盛り上がりやすいゴルフとは何か。
商品を買ってもらえるゴルフとは何か。
という発想が先に立ち、それに合わせてコースや選手の評価まで変わってしまいました。
商業がゴルフを支えるのではなく、商業がゴルフの形を決めるようになったのです。
ニクラスが現在のツアーへ示した違和感は、その主従の逆転に対するものではないでしょうか。
大会の価値は、賞金額だけで決まるのか。
選手の価値は、飛距離だけで決まるのか。
コースの価値は、大観衆を収容できるかどうかで決まるのか。
ゴルフの価値は、すぐに理解できる派手な映像だけで決まるのか。
帝王は、ゴルフ界へその問いを投げかけているように思えます。
帝王の言葉を聞き入れられるのか
PGAツアーが最初に取り組むべきなのは、ボール規制だけではありません。
まず、自らの大会で使用するコース設定を変えることです。
飛距離がそのまま残り距離の短さへ変換され、短いクラブによって簡単にボールを止められる設定を見直す。
フェアウェイの中に、正しい位置と間違った位置を作る。
飛ばした先からは、ピンの周辺へ止めにくくする。
グリーンへの進入角度と、使える着弾地点を重視する。
観客をホールの両側へ並べ、ミスショットを救う構造も改める。
現代のドローン、弾道追尾、大型ビジョンを使えば、観客を特定の観戦エリアへ集めながら、ホール全体の戦略を見せることができます。
観客をコースへ近づけるのではなく、コースと選手の判断を映像で観客へ届ける。
技術は、コースを簡単にするためではなく、ゴルフの複雑さを伝えるために使うべきです。
そしてメーカーやメディアも、飛距離以外の技術を伝えなければなりません。
なぜ、そのクラブを選んだのか。
なぜ、20ヤード短く打ったのか。
なぜ、フェアウェイの左側を狙ったのか。
なぜ、ピンではなくグリーン手前へボールを落としたのか。
それを説明できれば、ターゲットゴルフも十分に観客を魅了できます。
飛距離だけが、ゴルフの見せ場ではありません。
ゴルフは、問題を解き続ける競技
ゴルフでは、人間の身体が作った力を、長いクラブによって増幅してボールへ伝えます。
わずかな狂いが、大きな結果の違いを生みます。
どれほど優れた選手でも、すべてのショットを完全には再現できません。
だからこそ、起きた結果を受け入れ、次に与えられた問題を解かなければなりません。
そして、目の前の一打を成功させるだけでなく、次の問題を少しでも簡単にする場所へボールを運ぶ。
この連続がゴルフです。
ゴルフは、完璧なショットを並べる競技ではありません。
不完全な結果の中から、判断と技術によって最善の答えを探し続ける競技です。
コースは、その能力を人間の主観的な採点を使わずに評価してきました。
ところが飛距離が常に正解になれば、コースが出す問題は単純になります。
どれだけ前へ出せるのか。
それだけでは、ゴルフが持つ多面的な評価機能は失われてしまいます。
帝王が守ろうとしているのは、昔のゴルフではありません。
異なる能力を持つ選手が、それぞれの技術と判断によって問題を解き、それぞれの方法で勝つことのできるゴルフです。
ジャック・ニクラスの言葉を、ゴルフ界は聞き入れることができるのでしょうか。
それとも、これからも飛距離、賞金、観客数という分かりやすい数字だけを追い続けるのでしょうか。
その選択によって、ゴルフがこれからも総合的な技術を問う競技であり続けるのか。
あるいは、最大出力を競うだけのスポーツへ近づいていくのかが決まります。
ニクラスが投げかけた問いに答えるのは、帝王自身ではありません。
PGAツアー。
メーカー。
メディア。
そして、私たちゴルファーです。
